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旧約聖書三十九書の順序とその意味

目次

はじめに

 旧約聖書をなぜ「旧約聖書」と呼ぶのでしょうか。それは、イエス・キリストによって結ばれた「新しい契約」(略して新約)に対する「古い契約」(略して旧約)が書かれているとクリスチャンは理解しているからです。ですから、新約聖書なしでは旧約聖書はありませんし、旧約聖書があってはじめて新約聖書は意味があります。旧約・新約、両方あってひとつの聖書です。

なぜ旧約聖書を学ぶのか

 なぜわたしたちは旧約聖書を学ぶのでしょうか。それは旧約聖書が聖書の一部だからです。「新約聖書だけ知っておればいいではないか」と考えられる方がおられるかもしれませんが、新約聖書だけでは不十分です。

 至極当たり前の事ではありますが、イエスが読まれた聖書、そして初代教会の人々が聞いていた聖書は旧約聖書です。新約聖書はまだ書かれていませんでした。そして、旧約聖書を読み、聞き、それを学ぶ事によってイエス・キリストによって表された神の福音を心にとめていったのです。ですから、テモテの第二の手紙にあるように、旧約聖書に「キリスト・イエスに対する信仰によって救いに至る知恵」(3:15)が書かれていると信じていました。それだけではありません。旧約聖書は「人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益」(3:16)であり、これを学ぶ事を通して「あらゆる良いわざに対して十分に準備ができて、完全にととのえられた者になる」(3:17)ことができると信じていました。このように、イエス・キリストにある救いもそして救われた者の歩み方についても、旧約聖書はわたしたちに多くを語っています。聖書が「神の霊感を受けて書かれた」(3:16)、つまり神がそこに働かれて書かれた教会にとっての特別な書物だからです。

 しかし、わたしたちはどのくらい旧約聖書を知っているでしょうか。残念ながらその概要を知っている人は数少ないのが現実です。そこで、これから旧約聖書にいったい何が書かれているのか、そしてわたしたちに何を教えているのか、その概要を学んでいきたいと思います。

旧約聖書三十九巻

 旧約聖書は三十九の書からなっています。これらは大きく四つの部分に分けられます。

 まず、五書。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の最初の五つの書をこのように呼びます。これらは「モーセ五書」とも呼ばれたりします。次に、歴史書。ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記(上下)、列王紀(上下)、歴代志(上下)、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記からできています。三番目は聖文書。ヨブ記、詩篇、箴言、伝道の書、雅歌の5つです。最後は預言書。「大予言書」と呼ばれるイザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書と「小預言書」と呼ばれるホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書の合計17の書からできています。「大・小」の違いは預言者の価値によってではなく、書の長さによって分けられているようです。

 この旧約聖書の39巻の並び方は、イスラエルの歴史の流れにそっています。天地創造と父祖たちの活動(創世記)、それに続くエジプト滞在、脱出、約束の地であるカナンへの侵入の準備(出エジプト記から申命記)が五書に書かれています。歴史書には、カナンの地の征服(ヨシュア記)、そこでの戦いと失敗(士師記)、イスラエルの王制の誕生、統一王国の王であったダビデとソロモン、さらに分裂した二つの国の興亡(ルツ記、サムエル記、列王紀)が書かれています。さらに、イスラエルの歴史をこれらとは別の観点から歴代志は述べ、バビロンの捕囚から帰還した時のこと(エズラ記、ネヘミヤ記)、ペルシア帝国にいたユダヤ人の戦い(エステル記)がそれに続きます。歴史に続いて、詩歌が関わり深い人の時代順に並べられています。最後に、預言書は最初の五つはほぼ時代順に並べられています(哀歌はエレミヤとの関係が深いのでエレミヤ書の直後)。最後に12の小預言書もこれもほぼ時代順にならべられています。なお、預言書の時代は歴史書の列王紀、歴代志、エズラ記、ネヘミヤ記の時代と重なっています。以上のように、旧約聖書はイスラエルの歴史を天地創造からたどり、最後はイスラエルを回復に導くメシヤの到来を待ち望む預言者たちに言葉によって閉じています。

ヘブライ語聖書の並び方

 わたしたちはここで記されている39の書の並び方を当たり前だと思っていますが、実際はそうではありません。ユダヤ教を信奉している人々の用いている聖書(ヘブライ語聖書・わたしたちの用いている聖書の原典にあたる)を見ると、39の書そのものの内容同じですが、その並び方と区分が異なっています。ヘブライ語聖書は、大きく三つの区分に分けられます(律法、預言書、諸書)。まず、律法(トーラー)。これは創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の五つの書を指しています。次に、預言者(ネビイーム)。これは「前預言者」と「後預言者」に分けられます。「前預言者」はヨシュア記、士師記、サムエル記(上下)、列王紀(上下)。「後預言者」はイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書と小預言書の12をまとめた十二預言書。最後は諸書(ケスビーム)。「詩歌」に分類される詩篇、箴言、ヨブ記。「メギローテ(巻物)」と分類される雅歌、ルツ記、哀歌、伝道の書、エステル記。「歴史書」に分類されるダニエル書、エズラ・ネヘミヤ書(二つの書がひとつに結び合わされている)、歴代志(上下)です。これを見ると、旧約聖書の歴史書、詩歌、預言書に含まれているものが諸書に配置されていることがわかります。

 実はヘブライ語聖書の並び方にも意味があります。それはユダヤ人たちがどれほど律法を大切にしているかを表しているのです。つまり、律法にそれぞれの歴史的な状況の中でどのように応答してきたかを聖書が記録しているのです。モーセを通して主から与えられた律法がイスラエルの歴史の中でどのような役割を果たしてきたか、それに従うか従わないかが国の道筋にどのような影響を与えてきたかを前預言者(歴史書)が示されています。また、律法を時代の中で踏まえながら、主のメッセージを語り続けた預言者たちの言葉が後預言者(預言書)に描かれています。さらに、律法へのイスラエルの民の応答が讃美と祈りの歌、知恵の言葉、礼拝の言葉(メギローテはユダヤ教の特別の祭りの時に読まれていました)、捕囚後の回復の中での応答として諸書に記されています。ですから、ヘブライ語聖書の配列には律法を大切にするユダヤ教の思想が刻まれています。

なぜ二つの配列があるのか

 なぜ旧約聖書には二つの配列があるのでしょうか。実は、元々ヘブライ語(そして一部はアラム語)で書かれたヘブライ語聖書が紀元前250年頃からエジプトでギリシア語に訳されはじめました。それは地中海諸国に散らされたユダヤ人たちがヘブライ語を語らなくなってきたかからです。この翻訳は数百年続き、イエスの誕生の頃にはすべての書が翻訳されました。これらのギリシア語訳聖書を「七十人訳(セプタージェント)と呼び、初代教会の人たちが読んでいたのはこのギリシア語訳聖書です。その各巻の配列は、ヘブライ語聖書のものとは異なり、現在わたしたちが持っている旧約聖書ものでした。ですから、二つの旧約聖書の配列があり、クリスチャンはギリシア語訳聖書の配列に従っている旧約聖書をもっているのです。

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