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創世記(その3):36〜50章

目次

 

はじめに

 創世記の最後の部分には、イサクの子どもであるエサウの子孫たち(36:1-37:1)とヤコブの子孫たち(37:2-50:26)について書かれています。これまで同様、それぞれの部分は「これらが〜の『系図』(ヘブライ語で『トレドート』)」という表現で始まっています。カナンの地にいたヤコブとその子孫たちがどのようなきっかけでエジプトに定住するようになったのでしょうか。

エサウの子孫(36:1-37:1)

 エサウは、アブラハムから継承されてきた主の特別の祝福を受け継ぐことはできませんでした(27:34-35)。しかし、主は彼をも祝福し、多くの子孫を与えました。そして、エサウ自身は全ての財産を携えて死海の南東岸のセイルの山地に移住し、後にエドム人と呼ばれるようになりました(36:6-8)。さらに、このエサウの子孫から多くの族長や王が起こされました。

ヤコブの子孫(37:2-50:26)

 アブラハムからの祝福を継承したヤコブには十二人の男の子がいました。レアから生まれたルベン、シメオン、レビ(29:31-35)、ラケルの女奴隷であるビルハから生まれたダン、ナフタリ(30:1-8)、レアの女奴隷であるジルパから生まれたガド、アセル(30:9-13)、その後、レアから生まれたイッサカル、ゼブルン(30:14-21)、最後にラケルから生まれたヨセフ(30:22)とベニヤミン(35:16-18)。これらのうち、父ヤコブのお気に入りであったのは、彼の最愛の妻ラケルから生まれたヨセフでした(37:2-3)。しかし、皮肉にもこの父の溺愛が悲劇を生み出しました。

 若いヨセフは二つの夢を見ました。それはヨセフの麦の束を兄弟たちの麦の束が拝む夢と日と月と十一の星がヨセフを拝む夢でした。これらの夢の結果、兄弟たちは今まで以上にヨセフを憎みました(37:5-11)。そして、機会をとらえた兄たちはヨセフを捕らえ、イシマエル人に売り渡しました。その一方で、ヨセフを溺愛する父には「悪い獣が彼をかみ裂き殺した」と彼らは嘘を伝えました(37:18-36)。「あの夢見る者がやって来る・・彼の夢がどうなるか見よう」(37:19)の言葉からわかるように、兄たちの行動の背景にはヨセフの夢は決して実現することはないとあざけりがありました。また、ヨセフを溺愛する父に対する反抗心がありました。実は、これから展開する物語においてヨセフの夢の行く末と父と息子たちとの関わりが二つの大きなテーマとなっています。

 売られたヨセフはエジプトに連れていかれ、パロの役人であるエジプト人ポテパルに買われました。ところが、約束の地であるカナンから離れても、主はヨセフと共におられたのでヨセフのなすことはみな栄え、ポテパルは彼に自らの財産を全て司らせました(39:1-6)。ところが、皮肉にもヨセフの美しさがポテパロの妻の目に留まり、彼女は毎日ヨセフに言い寄りました。その誘惑を断り続けたヨセフを彼女は逆恨み、ついには無実の罪で彼を訴え、王の囚人をつなぐ獄屋に彼を送りました。しかし、獄屋でも主はヨセフと共におられ、そこを司る獄屋番の信頼を勝ち得るに至りました(39:7-23)。ある日、ヨセフに獄屋から逃れるチャンスが訪れました。王の給仕役の長と料理役の長が王に対する反逆罪の疑いでヨセフのいる獄屋に送られたのです。ヨセフは彼らに仕え、彼らの見た夢を解きました。ヨセフの夢の解釈の通り、給仕役の長は無罪放免され、料理役の長は処刑されました(40章)。いよいよ自分は獄から出される、とヨセフは期待しました、給仕役の長は彼のことをすっかり忘れてしまいました。しかし、二年経って、パロが見た夢の意味を解き明かすことのできる者がいなかった時、給仕役の長はヨセフのことを思い出したのです。彼はヨセフを呼び寄せ、パロの夢を解き明かせました。ヨセフの提案に感動したパロは彼をエジプト全国のつかさとし、来るべき大飢饉に備えさせました(41章)。ヨセフの夢は現実となり、彼は人々に拝まれるような高い立場に上っていったのです。

 そして、大飢饉が訪れました。その結果、諸国から人々が食物を買うためにエジプトにやって来るようになりました。状況はヤコブ一家がいるカナンでも同様でした。飢えをしのぐため、ヤコブは、愛するラケルの子であり、ヨセフの弟でもあったベニヤミン以外の十人の息子たちをエジプトに送りまし。彼らは、それがヨセフとは気がつかず、エジプトで国のつかさの前で地にひれ伏し、拝みました。あの夢が現実となったのです。ところが、ヨセフは自分がだれであるかを明かさず、むしろ彼らをスパイであると疑い、末の弟を連れて来るまで返さない、と一時彼らを監禁しました。しかし、上から二人目のシメオンだけを拘留して、残りの九人をカナンに帰しました。食糧を買った彼らの袋の中に、彼らの払った銀を返して(42章)。カナンに帰った彼らは、続く飢饉のゆえに再度エジプトに向かいました。彼らは国のつかさ(ヨセフ)の言葉に従いました。ベニヤミンを連れて彼らはヨセフの前にたちました。もちろん、倍額の銀と多くの貢ぎ物も携えていました。しかし、ヨセフは彼らとは直接会いませんでした。彼らをまず自分の家に連れていき、シメオンに逢わせ、しばらくしてから、ヨセフは自分の家に帰り、ついに兄弟の対面に至るのです(43章)。

 次の日、兄弟たちはカナンへ旅立ちました。しかし、ヨセフはベニヤミンの袋の中に自分の銀の杯をあえて隠し、彼に盗人のぬれぎぬを着せました。旅の途中であった兄弟たちは、ヨセフの前に連れてこられました。そして、杯を盗んだベニヤミンだけを奴隷としてエジプトに残せ、とヨセフは命じたのです。兄たちはどうしたでしょうか。自分たちの命を救うため、父が寵愛するベニヤミンを残してエジプトを去ったのでしょうか。いいえ、ユダはベニヤミンを心配する父の心を理解し、自らが替わりに残るから末の弟を帰してくれ、と訴えました。かつては父の溺愛するヨセフを憎み、ついには父の心を傷つけた兄弟たちは変わったのです(44章)。そのような兄たちの姿を確認したヨセフは自らがだれであるかを打ち明け、父ヤコブを連れて、イスラエル一族がエジプトへ移住するように勧めました(45章)。そして、一家はエジプトに移住してきました。アブラハムとサラによってはじめられた一家は、七十人にまで増え、主の約束は少しずつではありますが、現実になっていったのです(46:8-27)。

 そののち、父ヤコブはエジプトで死にました。ところが、父の死はヨセフの兄たちに疑念を起こさせました。父が死んだのでヨセフがかつての兄たちの悪しき行動にたいして復讐をするのではないか、と恐れたからです。しかし、ヨセフは「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変わらせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました」(50:20)と語りました。兄たちの行った悪は悪として認めつつも、それをゆるし、そのような悪さえも飢饉の危機から一族を救うための神のみわざと理解していると兄たちに語りました。長い年月の中で、ヨセフは神の摂理を知り、過去の忌まわしい出来事にさえも新しい意義、神のみわざを見たのです。そして、イスラエルの物語の舞台はエジプトに移ります。

 ヤコブの兄弟たちの物語は、ヨセフだけの物語ではありません。悪を行った兄弟たちが変えられるまでの姿を綴った物語であり、人の悪しき行動さえも神は驚く形で用いられることをわたしたちに教えてくれる物語です。確かに過去の忌まわしい出来事はなくなりません。しかし、主はそこに「摂理的」な新しい意義を与えてくださる方です。

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